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みなさん こんにちは!社長勇退アドバイザーの磯村でございます。何事においても原点に立ちかえることは重要です。事業承継のサポートの際に、筆者はよく社長の”原点”についてお伺いさせていただいております。原点回帰することで、目的が明確になり、これからやるべきことが見えてくるからです。そこで、今回は、筆者が”事業承継の仕事を始めた原点”のお話をさせて頂きます。少し長くなりますが、お付き合い頂くとうれしく思います。
私の実家は、おじいちゃんの代から続いていた豆腐屋でした。近所のお店やお客様に、直接販売する小さな豆腐屋です。幸いなじみのお客様にも恵まれ、朝ごはんには豆腐のお味噌汁が定番という時代だったということもあり、豆腐屋の経営は順調だったそうです。
しかし、そんな日々も長くは続きません。ある日突然、おじいちゃんが体調不良で倒れたのです。このままでは、なんともならない。予期せぬ事業承継。白羽の矢が立ったのは、長男である父でした。その時の父の職業は銀行マン。ちょうど、油がのってきた30代です。そんなときに、重要な決断を強いられたのです。父もいろいろと悩んだことでしょう。そして、父が出した結論は、”事業を引き継ぐ”といったものでした。
豆腐はとても痛みやすい食品なので、お客様は、朝早くに買いに来るという時代です。当然、防腐剤はないし、今のようなパッケージ技術もありません。だから、朝早く作って、午前中のうちに配達し、午後からは次の日に備えて仕込みをしていました。朝2時に起きて、夜の9時には寝るという生活へのシフト。経営責任も増し、仕事の段取りに追われる日々でした。当然、家族の生活リズムも変わっていきます。傍から見ていても大変な仕事でしたが、父は、ただ黙々と仕事に取り組んでいました。休日に遊びに出かけることは、なくなりました。
その決断が、正しかったかどうかは、父にしかわかりません。また、息子の私が軽々しく口にすることでも、ありません。それは、本人が決めることですし、結果論にすぎません。ただ、父の中に少なからず葛藤があったことは、息子の私にも容易に想像ができます。
高度経済成長により、家庭では冷蔵庫が普及し、パッケージの技術も飛躍しました。それにより、産業構造が大きく変わり始めました。”スーパーマーケットの台頭”です。それは、私の住む町にとっても、例外ではありませんでした。中学に入る頃、目と鼻の先にスーパーマーケットが進出してきました。生活者としてはうれしい限りの話ですが、供給者としてはただただ脅威でしかなかったと思います。
予感は的中。恐れていたことが起きてしまいました。状況が一変するとは、このことです。うちの店をひいきにしていたお客様が、一気に離れていったのです。仕方のないことですが、それはもう、えげつないものでした。当時、学生だった私にもわかるくらいですから、働いている父や従業員にとっては辛かったに違いありません。それでも、なんとか踏ん張っていました。
この状況を打開するために、父は高価な豆腐製造機の導入を決断。経営が苦しい中での、大きな賭けでした。全てをかけた起死回生の一撃。結果は、残念ながら、お客様を取り戻すまでには至りませんでした。豆腐製造機を導入した翌年、父は豆腐屋の看板をおろすことを決断しました。
私にとって、今でも忘れられない光景があります。導入時には多額の投資だった豆腐製造機でしたが、売値は二束三文だったそうです。もっと正確に言えば、撤去費用を支払わなければ引き取ってもらえないという条件でした。現実は、得てして非情なものです。この話をする肩を落とした父の姿は、今でも私の目にくっきりと焼き付いています。事業は畳んでしまったら何も残らない。高校3年の私の脳裏に、強くインプットされました。仕方のないことかもしれませんが、子供ながらもとても悔しかったことを覚えています。
結果として、事業を閉じることになった父ですが、文句ひとつ言わず、仕事に真剣に打ち込む姿勢は、かっこよく見えました。自らの責任において決断を下し、その結果に対して全て責任を持つ。このような道を自ら選んだ父を、筆者はとても誇りに思っています。そして、多感な少年時代に、このような父の後ろ姿に触れ、今思えばとても貴重な体験をしたと思います。このような経験から、筆者は”経営者そのもの”に興味を持つようになりました。
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